スターバックスが大切にする哲学
スターバックスの社内でよく用いられる哲学として
「One Cup at a Time,One Customer at a Time 」
(一人ひとりのお客様に一杯ずつ心を込めてコーヒーをお出ししよう)
という言葉があります。
スターバックスコーヒージャパン本社の壁にも刻まれていますし、会社案内にもこの言葉が記されています。
それほどに、この精神を守り続けることを大切と考えているのです。
この言葉は日本で言うところの「一期一会」に当たります。
「この瞬間は一生に一度しかないため、悔いの残らないように誠心誠意おもてなししなさい」と言うことであり、決まり切った作業としてではなく、お客様一人ひとりに一杯のコーヒーを心を込めて提供しようという気持ちを伝えるメッセージです。
スターバックスはこの哲学を守り抜くことを大切な価値観としたアイデンティティを持ち経営理念であるミッションステートメントに根ざした経営を行っている企業なのです。
その心の支えとして経営の根幹をなすのが理念であり、最も重要かつ大切な思いが綴られているのが「ミッションステートメント」です。
サードプレイスという新しい着想
ブランドを広める場所
なぜスターバックスに足を運ぶのか。
米国のスターバックスには、月に16、17回も利用する優良顧客がたくさんいるといいます。
単においしいコーヒーを飲みたいというだけなら、同じ水準のコーヒを提供する店でもいいはずです。
近くで一休みしたいというだけなら、ファストフードショップはいたるところにあります。
それでもスターバックスに行くのは、明らかにスターバックスでしか味わえない経験を顧客は求め、楽しんでいるからでしょう。
スターバックスは自分たちの店を「サードプレイス」(Third Place:第三の場所)と位置付けしています。
家でもオフィスでもない存在、その中間にある場所に新しい存在意義を打ち出したのです。
それは「忙しい一日の疲れを癒し、自分だけの時間を過ごせるくつろぎの場所」といった「手の届く贅沢」(Affordable Luxury)を味わう「場所であり、「大切な人と語らうためのとっておきの場所」、すなわち「ロマンチック」な場所でもあります。
また、「日常のストレスから解放される場所」としての「オアシス」であり、「友人や仲間と集う社交の場」として、「普段着の交流」を楽しむ場でもある、というのがサードプレイスのコンセプトなのです。
実際、顧客はさまざまな経験を楽しんでいます。
ある女性は、「足を組み、カップルを傾け、髪をかき上げる自分の姿をウィンドーに映すことで、自分を素敵だと感じ、その瞬間に酔う」と笑って話してくれました。
また「毎朝、出勤前にスターバックスに立ち寄り、ほろ苦いコーヒーを口にしながら、今日一日の仕事の段取りを考えるとき、自分がライバルよりも一歩先に行ったような気分になる」というビジネスマンもいます。
慌ただしく、ホットドックを頬張りコーヒーで流し込み、駆け足でオフィスに向かう自分ではなく、スターバックスで過ごす自分に喜びを感じているのです。
毎日家事に追われ、休まる暇のない主婦も「まるでドラマの主人公になったような気分を楽しむことで、友達同士と一緒にいるとすっかりくつろいで時間を忘れしまう。
芳香なコーヒーとフレンドリーなおもてなし、そして居心地のいい空間でのひとときを楽しんでいます。
スターバックスは、顧客に対してゆったりと自分らしく過ごすことができるオアシスのような空間で、「スターバックス・エクスペリエンス」(スターバックスでしか味わえない経験)を提供してくれるのです。
日本人を共感させたコンセプト
世界中の国にスターバックスが受け入れられるとき、きっと世界は平和になっていることでしょう。
スターバックスが提供するコーヒーは、生物として生きるための最低限の栄養を与えるものではありません。
心に活力を与える栄養素です。
スターバックスを受け入れられる国は、豊かで平和な国に違いないのです。
日本でこれほどスターバックスが成長したのは、日本が平和な国で、人々によるモノへの欲求が満たされ、心の欲求を求める時代になり、スターバックスのコンセプトとマッチしたからではないでしょうか。
日本人の欲求は、「自分磨き」や「思い出づくり」といった心を満たすものへと移ってきています。
また、個人の時代と言われる中、多くのストレスを抱え、「仲間同士の集い」が心の栄養となる時代に、「サードプレイス」というコンセプトを持ったスターバックスは、求めていたものを目に見える形で示してくれたというといえるでしょう。
それも、誰でも少しだけ背伸びをすれば届くところで体験できる「手の届く贅沢」として。
この言葉は今の日本人の心を掴む重要なエッセンスといえるでしょう。
最近、スローフードという言葉が流行しています。
そこにあるのは、長い歴史の中で郷土に根付き、培ってきた食文化を大切にするという動きと、食を通して心の豊かさを取り戻そうという動きの2つの意味が込められています。
スターバックスの提供する「手の届く贅沢」とは、こうしたスローフードの精神にも重なるのではないでしょうか。
良好な人間関係を築くキーワード
マニュアルレスで多様性に対応
スターバックスの哲学を表す「One Cup at a Time,One Customer at a Time 」という言葉には、人間同士のふれあいや信頼関係を大切にしようというメッセージが込められています。
言葉そのものの響きは優しいのですが、スターバックスというブランドを高めていく気概が込められた力強い言葉です。
この言葉からは、この一瞬で顧客を魅了してしまうような感動を与えよう、という強い思いを強く感じます。
「Moment of Truth」という言葉があります。
日本では「真実の瞬間」と訳されましたが、その本来の意味は、「闘牛でとどめの一突きをする瞬間。決定的瞬間。正念場」と辞書にあります。
闘牛士が鋭い剣を持ち全身全霊を込めて牛に打ち込む最期の一瞬のことです。そのくらいの気迫や情熱を持って顧客に向き合わなければ、感動や驚きなどを提供できるはずがありません。
「One Cup at a Time,One Customer at a Time 」には、その響きと同じ思いが込められているのではないでしょうか。
さて、このように顧客に対して他社では味わうことのできない感動を表現することは、魂の込もらないマニュアルに従っていてはなかなか実現できません。
スターバックスでは、顧客の多様な要望に即座に応えるには、パートナーがどのようにお客様に接するべきか自分自身で考え、顧客に対する多様なサービス形態を個々に作り上げていく方がよいと考えています。
なんでもマニュアルにしてしまう必要はないということです。
実際スターバックスには、バリスタのレシピマニュアル以外、サービスに関するマニュアルはありません。
情緒的サービス要素は、機能的サービスと違って、こうすればよいと決めることや定量的に表すことはせず、言葉にしにくいためマニュアル化が難しいものです。
ですから、パートナー一人ひとりが自分で良いと思うことを自分で判断し、行動することを大切にしています。
実際、スターバックスの店に入ってきたお客様に「いらっしゃいませ」と言う人もいれば、「こんにちは」と言う人もいるため、対応はさまざまです。
彼らの対応を見れば、「両手を前で重ねてお辞儀は60度の角度で、にっこり笑ってはっきりと大きな声でいらっしゃいませと言いましょう」と教えられていないことは明らかです。
接客対応は、バラバラというよりも一人ひとりがお客様にどのような態度を取ればよいかを、自分で考え、自分のスタイルで行動しています。
ですから、自然な印象を受けるはずです。
マニュアルやルールにがんじがらめにされて働いている人の中には、任されることをうらやましく思う人がいるかもしれません。
確かに自分の裁量で判断できることの喜びややりがいは大きいのですが、そこには責任が必ずついて回ります。
この部分を自覚できない限り、マニュアルをなくすことはできません。
案外マニュアルがあり、ルールがはっきりしている方が、仕事はやりやすく楽な場合が多いものです。
「こうしてください」と決められたマニュアルがないということは、自由ということではありません。
そこにあるのは、最良の方法を考えて実行しなさいという権限委譲の精神です。
そこには、任せる側と任される側の信頼関係に加えて、何がベストであるかを判断する良識が求められます。
この考え方は、米国の高級百貨店ノードストロームの精神に通じるものがあります。
ノードストロームの就業規則には「どんな状況においても自分自身の良識に従って判断すること。それ以外のルールはありません」とあるそうです。
スターバックスにしてもノードストロームにしても、店というチームは自分で良しと思うことを自分で考え行動する、つまりは自立型の組織形態をとっています。
しかし、スターバックスにマニュアルがないからといって、単純に真似することはできません。レストランの調理工程は複雑ですし、テーブルサービスでは守らなくてはならない最低限のマナーやルールもあります。
また、コンビニエンスストアやスーパーマーケットでは、数千から数万アイテムの商品管理をタイムリーに行わなくてはなりません。
これらのビジネスに比べてスターバックスのビジネスは、機能面だけ見れば非常にシンプルです。だからこそマニュアルに頼る部分が少なくて済むという面があるのも事実です。
それでも、顧客の期待レベルは高まり多様性も重要になる中、マニュアルに頼ってばかりでは、顧客の心をつかむことは難しい時代だと誰もが認識しています。
だからこそ、スターバックスがマニュアルに頼らず、個々の自主性に任せるマネジメントをすることに対して、「どうやってルールを守らせるのか」「どうやってサービスクオリティを落とさないようにしているのか」「勝手にやらせていては店がバラバラになってしまうのではないか」といった声があちらこちらから聞こえてくるのです。
確かに、表面的にはそのようなことが危惧されるはずです。
しかし、野球チームとサッカーチームを比べてみてください。
一球一打について指示を出し、コントロールするのが野球チームであるのに対し、サッカーチームは一度ピッチに入ればベンチからのコントロールはほとんどできません。
サッカーは、野球以上にまとまりを要求されるスポーツです。チーム運営だけを見れば、野球は機能を中心にチームをまとめていますし、サッカーはメンバー同士の阿吽の呼吸でチームをまとめています。
しかし、サッカーにも組織を統制するシステムは存在します。勝手にプレーさせているわけではありません。
これまで日本の企業の多くは野球チームを作ってきたわけですが、スターバックスはサッカーチームを目指したと考えるとわかりやすいでしょう。
お客様の要望にできるだけ応える「Just Say Yes」
居心地の良い空間、家庭的で温かみのある雰囲気を大切にするスターバックスでは、パートナーの気配りや顧客とのコミュニティケーションなど、情緒的要素を大変重視しています。
「One Cup at a Time,One Customer at a Time 」という精神もその一つですが、その心を込めた言葉をもう少し噛み砕くと、
「できる限り、お客様のご要望にお応えするという気持ちで接しよう」ということです。
それを表す言葉が「Just Say Yes」です。
「スターバックスにはマニュアルがありません。ただあるのは、お客様のご要望にはできるだけお応えしようとする精神です」と、あるマネージャーが言っていました。
こうした精神を、入社直後の研修からパートナーに伝え、受け入れられるように準備しています。
顧客のための真のサービスとは何かを理解し、何をすべきかを自分で判断し、行動するチームとは、こうした精神を浸透させることから生まれてくるのでしょう。
こんなエピソードも生まれました。
あるスターバックスの店舗が閉店する際に、常連のお客様からストアマネージャーやパートナーに花束が贈与されたというのです。
こうした「お客様との強いつながり」は、スターバックスが目指す「感動体験を提供して、人々の日常に潤いを与える」というアイデンティティそのものであり、仕事の楽しさややりがいとなっています。
顧客へブランドを伝えるのは人である
スターバックスは、「人という経営資源に徹底してフォーカスした経営」「人を尊重する経営」というピープル・ビジネスを実践する企業として知られています。
ブランドは、スターバックスにとって何が何でも守り抜かねばならないものですが、それを伝えているのは、ほかならぬパートナー一人ひとりであり、パートナーこそがブランドを決める存在と言っても過言ではありません。
スターバックスでは、香り高い高品質のコーヒーも、くつろぎの空間も人がつくり出すもので、従業員の尊重が顧客の創造につながると考えています。
数ある顧客との「接点」の中で、コーヒーの質や店の雰囲気は、他社が真似しようと思えばできるものでしょう。
しかし、「スターバックス・エクスペリエンス」と呼ばれる、スターバックスでしか味わえない経験を大切なものとして心に刻み、顧客を感動させ、リピーターを作るスターバックスの戦略までは、簡単に真似できません。
いわば、独自性はここにあり、これが一つの競争優位性を形成しているのです。
その中心的な役割を担うのは、コーヒーでも店でもなく「人」なのです。パートナー同士の良好な人間関係があるから笑顔のあふれた職場になるし、パートナーと顧客の良好な関係があるから、顧客は居心地の良さや感動を味わえるのです。
自立性の高いチームを作る
サッカーチームを作る
サービスの語源は、ラテン語のServus(奴隷)にあり、お客様に仕えることだと言われます。
しかし、へつらうことではありません。
サービスとは、「心温かく親切に人をもてなす気持ち」です。
「献身的にお客様のために尽くす」ことなのです。
サービスは誰かに手取り足取り教わって、マニュアル通りに行動すればできるものではありませんし、清掃や品出しが終わって手がすいたから、さあやろうというものでもありません。
サービスは、突然必要になり、その一瞬を逸すると価値がなくなってしまいます。
だから、サービスは難しいと言われるのです。
個人の自発性が鍵となるからで、本当にお客様のために尽くすという気持ちや、そうしたいと願う意欲無くして、顧客の心を捉えるようなサービスは実現できないからです。
まさに「真実の瞬間」です。
多くのチェーン店は、高度にシステム化された仕事の中で機能重視のサービスにを提供してきました。
しかし、顧客が当たり前以上の驚きや感動を期待し始め、考え方も多様化する中で、マニュアルだけに頼ったサービスに限界が見えてきました。
今求められているのは、高度にシステム化された機能的なサービスに加えて、マニュアルでは実現することの難しい、人間関係を深めるための情緒的なサービス要素をいえるでしょう。
その場その場の状況に合わせて、ベストだと思う行動を即座に実行するサッカーチームのように動かなくてはなりません。
スターバックスではマニュアルを否定するのではなく、マニュアルをあえて捨てることで、マニュアルに頼らず自分で判断し行動するサービス本来のあり方を目指しています。
情緒的なサービスはマニュアルや命令によって高めることはできません。
本人が、顧客のために尽くしたいという気持ちや、仕事への愛情など、いわゆる仕事に対してやる気を持って励む心無くして実現することは難しいのです。
だからこそ、「何のためにそうしなければならないか」「なぜそれが必要か」といった、Whyが十分考えられた上で、「何をすべきか」というWhatが必要です。
「どうすべきか」のHowだけではお客様の心に響くサービスは実現出来ません。
しかし、もし仮にスピードや利便性などの機能的なサービスこそが大切と考えるならば、テクニカルなマニュアルによって徹底的にその機能要素に磨きをかけ、サービスレベルを上げていけばよいでしょう。
やりがいが人と組織を変えていく
「なぜそうしなければならないか」「なぜそれが必要か」を認識して行動する人とは、言い換えれば「やる気」を持っている人といえます。
やる気を広辞苑で引くと「物事を積極的に進めようとする目的意識」と書かれています。とするならば、何のためにという「目的」とどのような状態を目指すかという「目標」が明確で、さらに、積極的にそれを成し遂げたいという強い思いや意思が働いている状態を「やる気の高い状態」というのではないでしょうか。
やる気を引き出すことは仕事の成果を高めるために不可欠ではありますが、それにはやりがいが必要になります。
やりがいとは、「するだけの値打ち」と辞書に書かれています。値打ちがあると思うからこそ、やってやろうという意欲も生まれてくるのです。
しかし、仕事に価値を見出せない人が多いのは事実です。
残念ながら自分の仕事が何の役に立っているのかを理解せずに表面的な部分だけを見て自分の仕事を卑下してしまう人もいます。
リンカーン元大統領は「世の中には卑しい職業はなく、ただ、卑しい人がいるだけである」と言っています。
彼が言わんとしたことは、要は本人の気持ち次第だということです。
ディズニーランドでゴミを掃除するスタッフは、自分の仕事に誇りを持っていることで有名です。
彼らはネガティブに見れば誰もができる「掃除役」です。
しかし、彼らはディズニーランドにおいて重要な役割を担っていることを自覚しています。
周囲の人もそのことを認めていますし、お客様からのお褒めの言葉や賞賛もあります。
これらが、彼らの仕事にプライドを与えているのです。
しかし、初めから周りの認知や顧客の賞賛があったわけではありません。
初めは、自分たちの仕事が大切なものなのだという自覚から始まり、行動を変え、その仕事を価値あるものにしていきました。
彼らは、やるだけの値打ちに気づいた人たちなのです。
仕事は、その人の心の持ちようでやりがいと誇りを持てる仕事にもなるし、逆につまらなくもなります。
有名な「二人の大工」の話をしましょう。
ある日、石切り場で石を切り出している石工二人に、「あなたは何のために仕事をしているのですか」と尋ねました。
一人の石工は、「毎日つまらない仕事をしているんだ。生活のために仕方なくこうやって働いているのさ」と答えました。
そしてもう一人の男に同じ質問をすると、「いいこと聞いてくれた。僕はね、ここで白亜の大聖堂を作る手伝いをしているんだ。素晴らしい仕事さ」と答えたということです。
どちらも同じ仕事なのに、その仕事の価値を認めてやりがいを持っているかどうかで、こうも仕事に対する認識が変わるのです。
スターバックスで働く人たちが生き生きとしているのは、自分たちの仕事の価値を知り、誇りを持っているからにほかなりません。
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